2014年3月から2016年9月まで、アメリカ合衆国のカリフォルニア大学サンフランシスコ校(University of California, San Francisco以降UCSF)でポスドクとして基礎研究の留学生活を送りました。実は、私自身の留学が決まるほんの1, 2年前まではまさか自分が留学するなどとは夢にも思っておりませんでした。そんな状態でしたので、初めて永廣先生から留学のチャンスがあると話しを伺ったときは戸惑いました。臨床を離れる期間が更に長くなることや家族のことなど不安はありましたが、相談した留学経験者先輩方全員が是非留学すべきだと後押ししてくれたこと、また自分自身留学出来るチャンスがありながら留学せずに後で後悔するのが絶対に嫌だったことなどから留学を決断しました。渡米当初はカルチャーショックの連続でしたが、持ち前の楽観的な性格で、さまざまな困難をも初体験の冒険の如く楽しみました。ただ、最初の5ヶ月間は家族と離れて単身での渡米でしたので、異国で寂しさを感じていたのも事実です。このころはさまざまな交渉事を電話で英語でやり取りするのがとにかく苦痛でした。しかしながら、2年もすると「英語なんて所詮コミュニケーションのツールだから通じれば下手くそでも何でも良いんだ」と開き直っていました。
留学先の研究室はUCSFの麻酔科に属しており、大動脈瘤や脳動脈瘤の基礎研究を中心に行っていました。私自身は脳動脈瘤破裂マウスモデルを用いた破裂予防のメカニズムに関する研究や、自ら開発したくも膜下出血マウスモデルを用いて、くも膜下出血後の脳損傷を軽減するための研究などを日々試行錯誤しながら行いました(写真1)。基礎研究における日本との大きな違いは、動物の手術に関して術中の鎮痛法、術後管理、手術記録などが非常に細かく決められている点が挙げられます。これらは予め実験計画書に記載しなければならず、順守しなければ実験停止処分を受けます。事実、2015年夏に細かなプロトコール違反を指摘されて約3ヶ月もの間、動物実験を停止させられるという苦い経験をしました。当研究室で私が新たな実験系を立ち上げた際には30ページ以上にも及ぶ実験計画書を作成せねばならず、厳しい査読を経てようやく認可された時はまるで論文が受理されたような気分になりました。大抵の論文には方法の項で実験が倫理委員会等で認められている旨の記載がありますが、アメリカではこんなに大変な作業だということを思い知らされました。また、日本と異なり独自で運営費を工面しなければならないアメリカの研究室にとって、グラント(研究費)の獲得が運営上極めて重要であることや、社会的関心の高い分野では寄付が得易いなど、研究室の運営面に関しても学びがありました。
ちなみに余談ですが、所属していた研究室があるSan Francisco General Hospital(以降SFGH)では、私の留学中に、病院の建て替えのためにFacebookの創始者であるMark Zuckerberg氏が7500万ドル(当時約90億円)の寄付を行い、新病院名には氏の名前が冠に付きました。
サンフランシスコやアメリカでの生活についても触れておきます。サンフランシスコはアメリカ西海岸、カリフォルニア州の北部に位置します。サンフランシスコの南にはサンノゼやシリコンバレーなどがあるサウスベイ、サンフランシスコ湾を挟んだ東にはバークレーやオークランドなどがあるイーストベイ、ゴールデンゲートブリッジを渡った北側にはワインの産地として有名なナパバレーのあるノースベイと呼ばれる地域があります。サンフランシスコと周辺にあるこれらの地域を総称してベイエリアと呼び、サンフランシスコはベイエリアの中核都市を担っています。ベイエリアにはスタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校といった有名大学もあります。ベイエリア全体は年間を通して気候が良いのですが、サンフランシスコは三方を海に囲まれているせいか朝晩は冷え込みが強く、夏場でもジャケットが手放せません。また坂が多いことでも有名で、市内で最も標高の高いツインピークス付近にあった我が家から、職場であるSFGHまでは、距離としては6km弱なものの、標高差は250mもあります(写真3)。私は自転車で通勤していましたが、行きは下り坂を20分、帰りは上り坂を40分かけるというなかなかハードな通勤を行いました。おかげで留学期間中、サッカー部に所属していた学生時代と同じ体重を維持することが出来ました。
生き馬の目を抜く速さで進化するIT業界に目をやれば、毎日のようにIT関連のスタートアップが生まれては消えていき、生き残った一部はUBERやAirbnbのような世界的企業に成長していきます。徳島では一台も目にすることのなかった高級電気自動車TESLAを街のあちこちで見かけるのもベイエリアならではの光景です。IT業界やベンチャー企業に属する、斬新で自由な考えを持った人々と交流することが出来たのもこの地域に留学出来たことの恩恵でした。あるテーマを与えられてグループごとにアイデアを競い合う「アイデアソン」のイベントに何度か招待されたのも良い思い出です。また、スーパーサイエンスハイスクールに指定されている徳島県立城南高校の生徒がベイエリアに研修に訪れた際に、医療生命科学分野の講演を依頼され、思いがけずアメリカで徳島の高校生と交流を持つことになりました(写真4)。ベイエリアでの日本人研究者同士の交流も盛んで、UCSF、スタンフォード大学の日本人研究者やベイエリアの医療従事者を集めた会合をした際には、私が幹事を引き受け、各分野のトップランナーと知り合えたのもかけがえのない財産となりました。
研究生活ではある程度自分の意思で勤務の予定調整が出来るため、研究以外の時間は家族と一緒にアメリカ生活を楽しむようにしました。息子たちと共に所属していた『サンフランシスコ阿波っ子連』で、メジャーリーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークのフィールド内にて公式戦試合直前に阿波おどりを披露したことや(写真5)、夏休みに巨大なモーターホーム(キャンピングカー)でグランドサークルやイエローストーン国立公園を巡ったこと(写真6)などは良い思い出です。
このように公私共に充実した留学生活を送ることが出来ましたが、これもひとえにこのようなチャンスを与えていただいた永廣先生や北里さん、快く送り出して下さった医局の先生方、また苦楽をともにした家族のおかげだと感謝しております。帰国後は基礎研究で培った問題解決能力を臨床に活かして社会に還元すること、また留学した経験を若い先生方や学生の皆さんに伝えることが私の役目かと思っています。